知られていないポリネシアの歴史~王家の血筋~

ポマレ王家の祖・テウルライ家

『ポリネシアの王家』と聞くとだれもが思い浮かべるのはポマレ王朝、タヒチ王国のポマレ王。でもこのポマレ家、もともとはフアヒネ島の王家、テウルライ(Teurura’i)家だということはあまり知られていません。

女王を中心に数々の名家と血縁関係に

現在は“バニラ”や“青い目の神聖な大ウナギ”で有名なこのフアヒネ島、HuaHine(Huaは性Hineは女)という名の通り、女性の島、女王が統治する島です。

女王、テハアパパ1世(Teha’apapa)のもと、ライアテア島やタハア島、モ-レア島近くの島、マイアオ島、オーストラル諸島のルルツ島にまで権力を持つ大きな王国でした。この領主はそれぞれテハアパパ女王の血縁であることがほどんどで、彼女の息子たちが王になったり、娘たちを王の妃にしたり、孫たちを遠くの島の王の娘と結婚させたりすることで攻撃されることなく、友好的に(?)統治していました。

ライアテア島のタマトア王やのちにタヒチ島を権力統治したトゥ王(ポマレ1世)も、もともとはテウルライ家の人間です。タヒチ島のパエアとプ-ナウィアの境目でパパラのアリイ、オプハラと戦った1815年のフェイ・ピの戦いでポマレ2世が総勢800人の兵士を連れてくることができたのも、ライアテア島のタマトア4世やボラボラ島のタポア1世の協力があったからこそ。だってみんな、テウルライ家の人間ですからね。そうみてみると、ある意味テハアパパ女王はポリネシアを“家族経営”していた女王ともいえるでしょう

盤石な統治

一番大きいタヒチ島の権力を握っていたので、ポマレ王がポリネシアの国王とされてはいましたが、フアヒネ島近辺の島の経済や政治を行っていたのはテウルライ家、また独自の法律もありました。1880年にポマレ5世がフランスに主権譲渡を宣言した後でもテウルライ家は存在し続け、1895年9月にテハアパパ3世がフランスの傘下になることを承諾することで、19世紀のテウルライ大帝国の幕が閉じたのです。

今なお語り継がれる王家の伝説

フアヒネ・イティのモツ、テファレリイにはテウルライ王家の墓があり、そこには王の装束が埋葬されているそうです。統治権力はなくとも、王の末裔たちはいまでもフアヒネ島に多く住んでいます。
フアヒネ島に暮らす人々が教えてくれました。王の装束は権力を象徴する色、真っ赤に染められたタパでできていたそうです。王家の末裔に語り継がれる話。素敵ですね。

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